戦争賛美、人権や民主主義などの現在の憲法を否定するような「つくる会」教科書採択や憲法九条を変えようとする動きが強まる中、東京では各地で、憲法と平和を守り、次の世代に伝えようという取り組みが行われています。
 板橋では戦争で亡くなった方の慰霊碑建立の取り組みが行われています。また、立川では、市の後援を得て戦争展が開催されました。


1日も早く戦争慰霊碑を
−−板橋不戦のつどい−−

 板橋区大山にある養育院は一八七二年に創設され、福祉・医療・研究の三位一体の運営という世界でも例のない総合的社会福祉施設として発展してきました。しかし、革新都政の解体と民間活力の手法により、都立都営から事業団化・公社化へと施設運営の在り方が変質させられ、今では「養育院」という名称そのものが東京都の行政上から消え去りました。

20周年となる今年の“つどい”にも区民200人が参加
 都庁職養育院支部では、「平和なくして福祉なし」の立場から、板橋区労連や板橋革新懇などと共に、大山公園に「戦争受難者の慰霊碑をつくる会」を一九八〇年八月に結成、毎年八月一五日に「板橋不戦のつどい」を開催し、今年は二〇周年の記念すべき年となりました。

 戦争末期、当時の養育院で生活していた二七〇一名がアメリカ軍の空襲などにより亡くなりました。火葬場では火葬する石油がないと遺体を引き取ってくれなくなり、やむなく構内の一角、すなわち現在の大山公園に遺体を土葬せざるをえなくなりました。

 一九四五年三月〜翌年九月まで、毎日のように、深さ二メートルほどの大きな穴を掘り、土をかけ、またその上に遺体を埋める作業が行なわれました。一九四五年四月一三日と六月一〇日の板橋への空襲で亡くなった区民もこの地に土葬されたといわれています。一九五八年、ようやくこれらの遺骨が掘り起こされ、多摩墓地にすべて納骨されたことになっています。しかし、当時を知る人はいまでも養育院の前のアスファルトの道路の下にも埋められたままのはずだと話しています。

 このような悲惨な史実ほど、戦争がどのように弱い立場の人々の命を奪うものであるか、いかに福祉を破壊するものであるかを如実に語りかけるものはありません。
 いま、憲法九条を変えよう、戦争ができる国にしよう、首相の靖国神社参拝は当然など、時代に逆行する声や動きが強まっています。わたしたちは、いまの社会に警鐘をならすうえでも、戦争受難者の慰霊碑を建立することで戦争犠牲者の霊を慰め、戦争や核も基地もない日本と世界を実現し、後世の人々に伝えることがわたしたちの生きている証でもあると考えています。

 一二月三日には「板橋平和のつどい」を、今までの枠を超えた幅広い取り組みで開き、多くの区民にアピールしていきます。(都庁職養育院支部 秋元正雄)



立川市が初めて後援した戦争展
 八月二四日から二八日まで立川市女性総合センター・アイムで「05平和をめざす戦争展in立川」(平和を考える市民の会主催)が開催され、夏休みの宿題の小学生など約八〇〇人が来場しました。三回目となる今回、初めて立川市の後援による開催となりました。
会場は総合センター入口ホールの明るく開放的なスペース
市民の作品や俳句のコーナーも……
 展示ギャラリーは過去の戦争や現在のイラク戦争など七つのコーナーに分かれていて、実行委員会で分担して準備をしたそうです。ギャラリーの外にも「市民の平和への願い作品」が展示されていて、ギャラリーのそばを通る人たちが目をとめていました。高遠菜穂子さんの講演も行われ、当日は会場がいっぱいになり、「ご本人の生き方に感動した」「いまイラクで何が起きているのかわかって良かった」などたくさんの感想が寄せられたとのことです。

 展示を観に来た予備校の寮に入っている若者が戦争体験者の話を聞き、実行委員の人たちとも親しくなり、最終日の片付けにも参加してくれたそうです。

 呼びかけ人の加藤恭子さんは「平和に関心はあっても九条改悪のことについては危機感が薄いような気がしました。平和の問題、九条の問題を訴える意味でももっと多くの人に見に来てもらえるよう工夫していきたいです」と話していました。