HOMEはたらく仲間(東京地評機関紙)東京の今昔「千住神社防空壕跡(内部)」(足立区・北千住)
東京の今昔
「千住神社防空壕跡(内部)」(足立区・北千住)
2021.07.15

 東京各地は1945年に度重なる空襲をうけています。今回は足立区の千住神社(北千住駅徒歩15分)の防空壕跡です。

当時のままの姿を伝える防空壕跡


 1945年4月13日から14日未明にかけ、豊島区、荒川区などの地域に、328機のB29が2038トンの焼夷弾と82トンの爆弾を投下。家屋17万戸焼失、罹災者64万人、死者2450人という甚大な被害を受けました。
 この空襲で千住神社も石鳥居以外、殆どが焼け落ちました。神社本殿は1958年に再建されましたが、神社境内の片隅には、当時の姿そのままの防空壕が残っています。防空壕は、奥行き約3メートル、高さ1.5メートルほどの半地下構造で、厚いコンクリートで上部が塞がれています。内部は腰をかがめた状態で大人10人程度が入れる広さ。空から焼夷弾や爆弾が落ちてくる中、この狭い防空壕での避難はどれほど恐ろしかったか、想像に難くありません。
 東京23区内に残る防空壕跡はとても珍しく、貴重な戦跡です。

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