HOMEはたらく仲間(東京地評機関紙)東京の今昔「東京少年飛行兵学校」の碑(武蔵村山市・大南地域)
東京の今昔
「東京少年飛行兵学校」の碑(武蔵村山市・大南地域)
2021.08.15

 今回は、戦前、現在の武蔵村山市大南三、四丁目付近にあった「東京陸軍少年飛行兵学校」本部跡地に建つ、「揺籃(ようらん)之地」と刻まれた碑を紹介します。

飛行兵学校出身者の会により建てられました。

 武蔵村山市のこの周辺には、立川飛行場(立川駅北口から砂川地域周辺)、多摩陸軍飛行場(現在「米軍横田基地」)など、首都防衛のための飛行場が密集。さらに「陸軍航空整備学校」や「昭和飛行機」、「日立航空機」などの工場、そして「村山陸軍病院」(現在の国立病院機構「村山療養センター」)等、飛行機に関係する軍施設が多数ありました。

 飛行兵学校は1945年11月に廃校になり、その敷地は食糧難のため畑に開墾されました。その後は住宅開発されたため、住宅の一部を切り取ってここに碑が建てられました。

 東京陸軍飛行兵学校は1937年に開校。大津、大分の学校と合せた卒業生4万6千人のうち、4500人が戦死したと言われています。その痛ましい戦争の歴史が碑に刻まれています。

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