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【東京の今昔】旧中島航空金属(西東京市、東久留米市)
2021.12.01

 今回は西武池袋線「ひばりヶ丘駅」から徒歩15分、旧「中島航空金属」をご紹介。その田無製造所の正面門は「住友重機械工業田無製造所」の門として、そのままの形で残っています。

 戦前、日本の戦闘機エンジンの約4割を生産していた「中島飛行機武蔵製作所」。4万5千人働いていた工場も、1944年から45年にかけて9回の空襲にあい壊滅しました。今は武蔵野市の巨大な団地等に姿を変え、当時の製造所内にあったグランドは武蔵野市営陸上競技場になっています。
 この中島飛行機武蔵野製作所の関連工場として、西東京市、東久留米市にまたがるこの地に、広大な中島航空金属田無工場とエンジン試運転設備が作られていました。当時、うっそうとした木々に囲まれていた施設はほとんど空襲を受けなかったと記録されています。終戦後は、敷地の多くが「公団ひばりヶ丘団地」(1959年)として整備されました。

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