戦争・被爆から80年 核なき未来の継承へ
「戦争を起こすのは、いつも核保有国です。絶滅だけを目的とした悪魔の兵器を一発たりとも残してはなりません。若い世代に核の恐ろしさを知って運動に参加してほしい」。そう語るのは日本被団協代表委員で長崎被災協会長の田中重光さん(84歳)です。


(7/27 テクノプラザかつしか)
29年越しに「被爆者」と認定されて
4歳のときに長崎県時津村(爆心地から6キロ)で被爆しました。しかし国は、行政単位で被爆地を決めたため、被爆者は12年間放置されました。入市被爆した田中さんの父・母・兄・弟は体調を崩し、暮らしは困窮しました。父は肝臓がんで亡くなりました。田中さんが被爆者と認定されたのは被爆から29年後でした。
1960年に長崎機関区(国鉄)に入社し労働組合に加入。日米安保闘争や三井三池炭鉱争議等、国民的闘いの中で原水禁世界大会にも参加しました。
ノーベル平和賞受賞は世界へのメッセージ
被爆者となり国内外に運動を広げてきた中、昨年、日本被団協はノーベル平和賞を受賞しました。飛行機のテレビでそれを知った田中さんは、同乗していた3人の役員と手を取り合って喜びました。「核のタブーを破ろうとする国の政府に対して被爆者の声を聞かせるためのメッセージだと感じた」と話します。
核の脅威と大軍拡いまこそ声をあげて
ロシアやイスラエル等が核の威嚇を繰り返し、核戦争の脅威が高まる中、戦争放棄と戦力不保持の憲法を持ちながら日本は世界第10位の軍事大国となっていることについて、「80年間の中で一番危険な状況」と田中さんは警鐘を鳴らします。「一度核戦争が起きれば住めない星になることを、世界は再認識してほしいのです」。
平和を未来につなぐ 「見える運動」で継承へ
被爆者の高齢化が進む中、「見える運動」が継承の鍵だと田中さんはいいます。長崎では市民や高校生と「9条の碑」の設置をめざす活動にも取り組み、「未来」へつなぎ始めています。
「いま労働運動は国民の目から見えず、社会的役割を果たせていません。労働者が労働組合に入って学び、要求し、団結して闘う。そして社会的・政治的要求を取り上げることによって、国民の支持と連帯が生まれ、労働運動が発展し社会を変革する力になることを期待しています」。